
HOME > おかざき塾歴史教室「天下人の実像」 > 第2シリーズ 家康公生誕の物語

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天文11年夜明けの寅の刻(午前4時頃)岡崎城内で喜びの声が沸き起こる。のちの天下人、徳川家康公の誕生である。
岡崎への進出は祖父・松平清康の頃に遡る。統率力と武勇に優れた清康は、岡崎城を足がかりに三河へと進出する。
祖父・清康の順調かに見えた三河進出も重心の謀反により道半ばにて倒れる。そして家康公の苦難の道が始まる。
家康公が生まれた年、今川家と織田家の争いが小豆坂で勃発。松平家も今川家に与するべく馳せ参じる。
小豆坂の戦いの後、岡崎城内で家康公が誕生する。しかし同じ頃父・広忠が寵愛する側室お久もまた男子を産んでいた。
家康公には生まれてまもない頃に出家させられた異母兄弟がいた。その「勘六」こそ後の桑谷松平家始祖、忠政である。
~第7章~離別
天文13年、竹千代(家康)2歳の頃。今川家と織田家の政争に巻き込まれ、母・於大は幼い我が子を残し岡崎を去る。
松平家の三河支配弱体と共に織田家との争いが激化、今川家へ助けを乞う。しかし援軍の条件は、竹千代の人質だった。
織田家の元で人質として過ごす竹千代に病が襲いかかる。それを懸命に介護したのは乳母「お松」だった。
父・広忠の死によって松平家は今川家の指揮下に入る。竹千代もまた人質交換によって駿府へと送られる。
今川家の人質として過ごす中、智将・太原雪斎の元、竹千代は武将として、天下人としての資質を身につけていく。
~第12章~元服
岡崎城松平家家臣たちは今川家の元苦難を強いられていた。その頃、14歳となった竹千代は元服し、元信と名を改めた。
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